jippiniusの自然科学研究

ジッピニウスの自然科学や技術関連についての備忘録です。

英国で突然変異が発生した理由

 

 

英国で突然変異VOC-202012/01が発生した理由を分析した論文が発表されていることを知った。その内容には「人間の小賢しい努力なぞ無に等しい」と自然法則の「神」に突き放された感じを受ける。

英国で突然変異が発生した理由を分析した論文

この論文はまだプレプリントだが、アメリカの有力学術雑誌であるScienceが取り上げているから、まずはその記事を閲覧してみよう。

www.sciencemag.org

タイトルにある"immunocompromised patients"というのがキーワードである。「免疫不全」の疾患を持つ患者という意味である。

最初にケンブリッジ大学のウイルス研究者の経験談が書いてある。この研究者は6月に、リンパ腫と呼ばれる血液の癌を再発した患者新型コロナウイルス にも罹患してしまっているとの情報を得た。この患者はB細胞の数を抑制する治療薬を服用していた。

リンパ腫とはなにか

ここでリンパ腫について調べてみた。これは免疫細胞系の癌化であり、リンパ節をむやみやたらに攻撃してしまったり、免疫機能が低下するなど様々な症状がある。この中に、B細胞が癌化するタイプのリンパ腫が含まれる(例えばこちら)。

ja.wikipedia.org

B細胞が肥大化し、数が増え(増殖)、体内の健全細胞を攻撃し始めることで、患者は病気にかかってしまう。また、免疫細胞の一つが機能しなくなることにより、ウイルスなどの感染症に罹患しやすくなってしまう。

つまり、上のケースで「B細胞を抑制する薬」を飲んでいたとあるが、「悪性化したB細胞を抑制」ということだったのだ。B細胞は中和抗体の生成に関係する重要な免疫細胞であり、これが癌化して機能不全になれば、当然新型コロナウイルス にも罹患しやすくなってしまうというわけだ。

血漿治療を行なったリンパ腫の患者

リンパ腫が再発し、新型コロナウイルス に罹患したこの患者は、結局3ヶ月以上ものの闘病のあと亡くなった。長い闘いであった。長い闘いを支えてくれたのは、免疫機能が低下したこの患者に投与されたレムデシビルと、2度にわたる血漿治療であった。しかし、この血漿治療が仇になってしまう可能性を、ケンブリッジ大学の研究者は発見するのである。

血漿治療、モノクローナル抗体

血漿治療とは、新型コロナウイルス に罹患したが、その後回復することに成功した「回復者」の血液から、有効な中和抗体成分を多量に含む血漿(血液成分)を取り出し、それを新型コロナウイルス の重症患者に(血管)投与する治療法である。

トランプ大統領もこの治療を受けて急速に回復したことで有名になったが、人によって効果的であったり、効果的でなかったりするのが難しいところである。これは、血清中に含まれる抗体の正体を突き止めぬまま、「まあいいものが入っているだろうから」と楽観的な立場を延長し、むやみに他人へ投与するためである。

一方、ウイルス攻撃にもっとも有効な中和抗体を血漿の中から探し出して人為的に増幅し、均質な性能をもたせて薬にしたものがモノクローナル抗体である。まあ、品質のよい血漿みたいなもの、と言っていいだろう。

なぜ血清治療がいけないのか?

血漿治療や、モノクローナル抗体による治療は、人間の体に含まれている生体化学物質であるから副作用が起きにくい上に、またその効果はお墨付きである(回復者からもってきたわけであるから)。したがって、この治療法が悪いわけがない、と思っていたのだが、落とし穴があったのである。

Jurasic Parkで、「この園に飼われている遺伝子操作で作った恐竜は全部メス化してあるので、繁殖の恐れはない。安全だ!」と科学者が言い切る場面がある。ところが、映画の後半において、森の中を逃げ廻る主人公たちは、恐竜の卵が孵化するのをみてしまうのである。その時の"Life finds a way"というセリフが心に突き刺さった科学者は少なくなかったのではないだろうか?

血漿治療やモノクローナル抗体など、強力な「兵器」にさらされるウイルスは絶滅の危機に瀕することになる。死滅させることができれば人間の勝ちなのだが、中には瀕死の重傷を負ったウイルスが生き延びる場合がある(もしかすると、ウイルスの胸に北斗の傷が光っているかもしれない)。そして我々(=サウザー)に向かってこう言うのである。「お前の技は見切った!」と。

 

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これが「突然変異」である。科学的には「選択圧力による進化の加速」という。つまり、弱いものは死に絶え、強いものだけが生き残るのである。それまでは、役に立たない「単なる変異」だったものが、血清治療のタイミングでその意味を見つけ出し、目を覚ますのである。目覚めた新型の突然変異は、「サウザー」に反旗を翻し、逆襲してくるのである。

ケンブリッジ大学の研究者が扱った患者は病院で死亡したので、その変異したウイルスは外部に漏れでることはなかった。しかし、ケントのある病院で血漿治療やそれに相当する治療を切り抜けた新型の突然変異が、市中に出回ってしまった可能性がある。

実際、新型のVOC-202012/01という突然変異株の遺伝子配列は、ケンブリッジ大学の研究者が見た死亡患者の中にあったウイルスの骸が見せた突然変異と瓜二つだったのだ。

 

スパイク蛋白部を制御する遺伝子配列69-70番欠損とN501Y突然変異

新型の突然変異で目立つのは、N501Yという遺伝子配列の入換えおよび、69-70番の欠損だという。特に69-70遺伝子欠損は、抗体からの攻撃をかわしやすくなっただけでなく、ACE2に取り付く時に重要な「スパイク」の構造においてアミノ酸2つ分が消滅する構造を許した結果、感染力も劇的に増加したのだと言う。N501Yは、南アフリカの501.V2にも見られる突然変異で、ACE2への結合が硬く強くなるという変化をもたらしたようだ。

ボストンのケース

ボストンでも同じようなケースが見つかっているそうである。免疫不全の患者が新型コロナウイルス に感染し、長い間闘病が続くと、体内で「選択圧力」がかかり突然変異のスピードが加速してしまう可能性があるのだという。こちらの患者は、154日間の闘病の後に死亡した。体内からはN501Yの変異を持った新型コロナウイルス が検出されている。

ワクチンが更なる新型誕生の「トレーニング」となる可能性

ワクチンも、選択圧力である。これに耐え抜いた無数の「ケンシロウ」が新たな技を身につけ反撃してくる可能性がある。ワクチンをやるなら、徹底的に殲滅作戦をやらねばならない。中途半端は許されない。

モノクローナル抗体に耐性をもつ突然変異体もみつかっているそうである。

こういった病原体の性質は、抗生物質の耐性菌の誕生とよく似ている。

ケンブリッジ大学の研究論文

Scienceの記事は、ケンブリッジ大学の研究結果を紹介し、そこから様々な関連について議論を広げているわけだが、ここで元々の論文を見てみよう。まだプレプリントではあるが、どこかの学術雑誌で受理されるのは確実だと思われる。

この論文の題名が衝撃的である。

"Neutralizing antibodies drive Spike mediated SARS-CoV-2 evasion"

新型コロナウイルス (SARS-CoV-2)のスパイク変異に伴う感染力の増強は中和抗体が原因」

中和抗体があるから新型コロナウイルス をやっつけられる、と思っていただけに、中和抗体のせいで突然変異が加速する、と言われてしまうと、もう何を信じていいのかわからない、と叫びたくなる人は多いだろう。しかし、ワクチンや抗生物質の乱用によって、新型インフルエンザや抗生物質耐性菌(MRSAなど)を大量に作り出してしまった歴史が人間にはあるのだ。この辺りの事情をよく知る研究者は、最初からこの可能性を心配していたと思う。

この論文では、免疫不全(この場合はリンパ腫)の患者が新型コロナウイルス に感染して死亡するまでの101日間の間に、遺伝子配列に急速な変化が起きたことが報告されている。この患者が受けた治療は2種類で、最初にレムデシビル、ついで2度の回復者からの血清投与治療である。

亡くなるまでの101日間のうち、最初の65日間はレムデシビルだけによる治療であったが、この期間に遺伝子はほとんど変化していないことが確認され、この論文で報告されている。

ところが、治療の後半から始まった「回復者からの血清(covalesent plasma)」が投与されると、遺伝子配列に動きが出始めたという。特に、D796Hという置換と69-70欠損が目立った変化であった。後者が今注目されている突然変異の一つで、交代との結合が弱まる効果をもっているらしい。血清投与は2度行われ、中和抗体の猛攻撃をしのいで生き残ったウイルスの遺伝子配列を分析すると、そのほとんどがD796Hと69-70欠損を兼ね備えていたという。血清治療が仇となって、まずい突然変異を誘発してしまったということである。

69-70欠損は、人間のACE2への結合を高め、かつ抗体の攻撃をかいくぐる割合が高まる効果をもつらしく、どうやら進化論的に「優位な」突然変異だと思われる。したがって、全く無関係の系列にもかかわらず、69-70欠損により感染力等が増進するなどする進化事例が複数見つかっている。それほどに、69-70欠損は有効な突然変異であるらしい。(すでに絶滅したと思われるが、デンマークで発生したミンク由来の突然変異種にもこの二重欠損(69-70のこと)が見られた。)

これまで、この「強力な進化」がどのようにして発生したかを調べた研究は存在しない。「一定の確率で突然変異は起きるもの」程度の説明が精一杯だった。ところが、ケンブリッジ大学の行なったリンパ腫患者の新型コロナウイルス罹患者の研究では、この突然変異がどのタイミングで発生するか「リアルタイム」で記録できたのだ!これは、賞賛に値する。つまり、回復者の血清を投与した直後に、この突然変異が発生したのである!

 もちろん、このメカニズムがKentで発生したと考えられているVOC-020212/01の発生メカニズムと全く同じかどうかはこの一例だけからは証明できない。しかし、突然変異の結果が瓜二つであったという事実は重く受け止めるべきだろう。この論文がきっかけとなって、血清治療やモノクローナル抗体治療をこれから計画している医療機関は、遺伝子解析を密に行い、治療と突然変異の相関関係を調べ始めるだろうから、まもなく結論は出ると思われる。おそらく予想通りになるはずである。