jippiniusの自然科学研究

ジッピニウスの自然科学や技術関連についての備忘録です。

PCR検査の「目詰まり」とはなにか?(4) ベイズ定理から導かれる偽陽性の確率

前回の続きで、ベイズ理論と、東京の現状に基づく、東京におけるPCR検査の偽陽性の可能性について考えてみたい。

まず、厚生労働省が行なった抗体検査の結果にもとづき、東京の感染率pをだいたい0.1%と仮定する。次に、世界的な経験値として得られたPCR検査の感度(Se)を踏まえ、Se=0.7、つまり感度を70%とする。最後に、PCR検査の特異度(Sp)の値に対し,押谷先生のインタビューで出てきた99%という数字を当てはめることにする(Sp=0.99)。

ベイズ理論によれば、偽陽性の確率\(q'\equiv P(I^C|+)\)は次のようにかける。\begin{equation}q'=P(I^C|+) = \frac{P(+|I^C)P(I^C)}{P(+|I)P(I)+P(+|I^C)P(I^C)} = \frac{(1-Sp)(1-p)}{Se\cdot p + (1-Sp)(1-p)}\end{equation}

これに上の値を代入すると、\(q'=0.934579439...\)すなわち偽陽性の確率は93.5%ということになる。これは恐ろしく高い値である。これがどう意味なのか具体例で考えてみよう。

東京の人口を1000万人とし、全員がPCR検査を1日のうちに1回だけ受けるとする。感染率を0.1%とすれば、東京都に1万人の感染者が潜んでいることになる。ただ、感染者のうち,きちんと「陽性」であると判定される人は70%に過ぎない(つまりPCR検査の感度を70%とする)とすれば、7000人が「陽性者」として隔離されることになる。一方、3000人は「偽陰性」と判断され街中に残ることになる。次に、感染していない人は999万人いるのだが、特異度が99%だとすると、ちゃんと「陰性」と判断される人は989.01万人となる。残りの1%、すなわち9.99万人の人が誤って陽性と判断されてしまう。つまり偽陽性は9.99万人ということになる。表にまとめると、

      本当の感染者     本当の非感染者         合計

陽性判定  7,000                                  99,900                     106,900

陰性判定  3,000                                  9,890,100             9,893,100

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合計     10,000                                  9,990,000

したがって、PCR検査が「陽性」と判断するのは10万6900人なのであるが、そのうちで本当に感染しているのは7000人なので、陽性的中率は6.55%に過ぎない。残りの93.45%の「陽性者」は実は感染していない人なのである(偽陽性)。これが偽陽性の確率ということである。感染率が低いときは、偽陽性に間違えて判定する確率が大きく出てしまうのである。一方、「陰性」と判断されたにもかかわらず、実際には感染している人は3000人と結構多くいるのだが、その割合は3000/9893100 = 0.000303241、つまり0.03%ちょっととなる。偽陰性割合は少ないということだ。

もう一つの例を見てみよう。先日、ある病院で200人規模のPCR検査を行なった。感染者は3人だった。この事例をベイズ理論で分析してみよう。感染率を1%としよう(3/200だから、まあいいだろう)。PCR検査については感度70%,特異度99%で計算する。すると陽性判定は3.38人になるはずで、そのうちの2人が偽陽性(つまり本当は感染してない)、残りの1人が本当の感染者という計算になる。一方、陰性判定者は196.62人となり、そのうち0.6人が「偽陰性」、つまり本当は感染しているのに誤って陰性と判定され野放しになっている感染者である。しかし、この数が1を切っているので、実質的には0人というふうに解釈できるだろう。ベイズの理論が正しければ、この病院で「陽性」と判定された3人のうち、2人はお気の毒ということになるが、公衆衛生的には大問題というわけではない。健全な方を隔離しても感染が広がることはないからだ(ただ、隔離先の病院で本当に感染してしまうかもしれないから、個人的にはかなりの損をするということになる。よって、陽性判定となっても、症状が出るまでは「感染予防」した方がいいだろう)。

さて、ベイズ理論の式からわかるのは、偽陽性の確率を0に近づける方法には2通りあるということである。一つは、PCR検査の感度を100%に近づけることである。これは技術的な問題であり、すぐには解決しないだろう。もう一つは、感染率を上げて1に近づけることである

この2つ目の解決法を知った上で、自分が厚生労働省の官僚だったとしたらどういうことを考えるだろうか?

感染率pが低いうちに、なまじっか国民の要望を聞いてPCR検査を増やしてしまうと、偽陽性と判定される人が大量に発生してしまう。その中には、国を訴える人間もある程度いるはずだ。ヒ素入り粉ミルク訴訟、サリドマイド訴訟、ハンセン病訴訟、薬害エイズ事件など、様々な薬害事件を起こしてきた我々(厚生労働省)が提訴され、かつ敗訴することだけは避けたい。だとすれば、今しばらく感染率が増加するまで、つまり国民の大多数が感染してしまうまでじっと待つのが得策だろう。いやそれ以上のこと、たとえばGoToキャンペーンなどを推奨して国民の多くが感染するのを加速させたらどうだろう?経済を回し国民の多くに満足感を与えつつ、我々の責任も薄めてくれるはずだ。それまで待とう。\(p\rightarrow 1\)となれば、PCR検査を大規模に行なっても、\(q'\rightarrow 0\)となって偽陽性は少なくなる。そうなれば、訴訟の可能性は減ってくるので、その時点からPCR検査を拡大すれば、無能呼ばわりもされないから安心だ。

....ということになろう。しかし、これでは、いったい誰を守るためにPCR検査をやるのかわかならない!

とはいえ、PCR検査の「目詰まり」がどこにあるのかこれではっきりした。つまり、ベイズ理論を用いた偽陽性の算出と、薬害訴訟で連敗してきた実績の組み合わせをよく知り、よく噛み締めている厚生労働省全体が目詰まりなのであろう!

押谷先生はこのことをよく知っているはずである。が、\(Se < 1\)であることだけを強調し、あえて\(p\ll 1\)が関係していることは黙っているのであろう。そして、「私はPCR検査の拡大に異を唱えているわけではない。ただ、拡大の仕方は慎重にやる必要があると考える」と主張なさるのは、心の中で「厚生労働省の役人、ひいては自分の立場を守るためには、多くの国民に犠牲になってもらった後じゃないとPCR検査の数は増やせないのだ。慎重にやるというのは、国民の大多数が感染するまではじっくり、のらりくらりとやる、という意味なのだよ。PCR検査の数を拡大するのはそれからなのさ」(と、シャア・アズナブルの口調で喋ったあと、「なんでこんなことするかって?キミが坊やだからさ。あはははは、あはははは」と付け足すことも可)と思っているのかもしれない。これが本当でないことを祈る。

では、国民の感染率がどの程度になったら、PCR検査拡大に舵を切ってくれるのだろうか?まずは、スェーデンの7%を参考に10%まで感染率が進んだ場合を計算してみよう。偽陽性は15.95%、だいたい16%にまで低下する。が、まだ早い。

次の例として新宿を考えてみよう。新宿の陽性率は30%近くだという。仮にこれを感染率だとみなして計算すると、偽陽性率は3.2%までに低下する。しかし、あと少しだけ我慢しよう。

以前、カリフォルニアのサンタクララで抗体検査をやってみたら40%という高い値を示したという報道があった。この場合の偽陽性の確率は2.1%である。そろそろか?

国民の半数が感染した場合はどうだろうか?偽陽性は1.4%となる。あと一息だ。

そして感染率が60%に到達した時、偽陽性は1%を切り0.94%となる。ここまでくれば無作為なPCR検査をやってもまずは安全だろう。とはいえ、むやみに増やしてしまうとよくない。まずは1万件くらいで抑えておこう。この検査が無作為だとすれば偽陽性者数の期待値は40人となるから、念には念を入れて発熱とか咳とか症状が出た人だけを検査するようになるべく絞っていこう、ということになるだろう。

だいぶ厚生労働省のやっていることの意味がわかってきた。

最後に、感度70%, 特異度99%とした場合に、偽陽性の確率を、感染率xの関数として表したとき、どのような振る舞いをするかグラフに表してみよう。

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感染率が0.1%(上のグラフの横軸のメモリでは0.001の場所に相当)の段階で、無作為なPCR検査をやったら大変なことになりそうである...クラスターに対象を絞り、感染が間違いない状況でPCR検査を回さないと、偽陽性者だらけになって苦情がたくさんでそうである。

さあ、これに対して、PCR検査拡大派はどう反論するのであろうか?