jippiniusの自然科学研究

ジッピニウスの自然科学や技術関連についての備忘録です。

PCR検査の「目詰まり」とはなにか?(2)

PCR検査を拡大したくないという動き

以前、PCR検査の目詰まりとはなにか、という題でブログ記事を書いたことがある。ダイヤモンドプリンセス号の感染対策の失敗や、山中教授の研究費削減など、数々の失策を重ねていた厚生労働省技官出身のお役人がPCR検査の拡充を邪魔していると考えたのだが、この方がお役御免になってもPCR検査の拡充はそれほど進まなかった。つまり、PCR検査に対する嫌悪感を持っている人は結構大勢いて、一種のグループを形成しているような気配である。

最近の報道でも、なぜPCR検査が広まらないかという疑問に対する取材はあちらこちらで行われていて、その結果出てきたのが「偽陽性の問題」である。つまり、本来感染していないのに、感染しているとPCR検査で判定されてしまうケースがあり、人権の制限に関わる」というのがPCR否定派の立場らしい。(この問題を最初に報道したのは、テレビ朝日の玉川記者であった。)

しかし、この報道に対して異論を唱える人も少なくない。PCR検査を否定する一派の「理論武装」による屁理屈ではないか、という疑念である。「偽陽性が出てしまうというだけで、これほどPCR検査を躊躇う理由にはなり得ない、何かおかしい」という意見である。

今朝の同じ番組で、日本医師会理事で政府分科会のメンバーである釜萢氏も「PCR検査なんてものは役に立たない」と結構強い言葉で主張していたので、確かになにかおかしい、と感じたのであった。釜萢氏も偽陽性の観点からPCR検査を避ける理由を正当化しようとしていたが、その論法に乗るまいとして玉川記者は「感度と特異度を測定した結果なら、測定値を教えてくれ」と詰め寄っていた。おそらく、釜萢氏は測定したことがないと見えて、答えに窮してしまった。そこでコマーシャルが入って議論が断ち切られたのである。

理由を述べずに結論を連呼するとき、その結論は論理的に演繹されたものではなく、なにか不合理な理由で強引に押し付けようとしていることが多い。不合理な理由、あるいは強制するような外力があるはずだ。それはなんだろう?

学閥なのか?

よくあるのは、学閥の大先生がある理論を嫌っていて、それが故に、弟子たちは皆、関連する学説や手法を攻撃しなくてはならないという科学界の傾向である。例えば、銀河系の「島宇宙論」を巡って、20世紀初頭にシャプレーとカーティスの間で激しい論争があったのは有名である。我輩も学閥同士の争いを多く見てきた。「あの手法はくだらない、すぐにでも廃止するべきだ」とか「あの手法は古い。私の編み出したこの手法こそ採用されるべきだ」とか、いろいろあった。

さて、PCR検査の障害として最初の候補として浮かんだ、某厚生労働省技官の方の出身を見てみよう。慈恵医大から厚生労働省に進んでおられる。

次に、釜萢先生の経歴を調べると日本医科大出身とある。群馬県で小児科としてご活躍なさったあと、医師会の理事として手腕を発揮なさったという。

さらに、分科会の長を務める尾身先生はというと、慶應大学法学部で医学の道に進むことを志し、途中退学して自治医大へ入学し直したということである。その後、厚生技官を経てWHOへ転進なさったという。

また、テレビの討論番組でPCR検査についてきつい発言をすることで知られる元厚生技官の方は筑波大学出身で、John's Hopkins大学を経て厚生技官となられている。この方は、厚生省でいじめにあったために精神的な病になってしまい、国を相手に提訴しているらしいが、その結果を調べてもなにも出てこないのが不思議な感じである。

PCR検査に後ろ向きという点で、「仲が良さそうな」人々ではあるが、学閥が共通というわけではなさそうである。

最後に、東北大学の押谷教授について調べてみると、東北大学医学部出身であった。その後テキサス大学大学院で勉強したあと、新潟大学などを経て東北大学に戻っている。この方も、出身校が前述の方々とは全く異なるので、PCR反対の学閥があるというわけではなさそうだ。では、なぜPCR検査に後ろ向きな医学関係者が日本の政界に深く潜り込んでいるのであろうか?

ちなみに、玉川氏の取材では、押谷教授がPCR検査の拡大にかなり後ろ向きの立場だということだが、果たしてほんとうだろうか?

押谷先生の考え

押谷先生が持論を展開した記事が日本版のNews Weekから公開されている。

www.newsweekjapan.jp

まず、記者が「3月初めにはPCR検査数は抑える方向でいく、と仰っていましたが、その後の感染拡大を受けて、検査数拡大に方向転換したように見えますが、それはどうしてですか?」と尋ねている。これに対し、「方向転換したわけではなく、最初からPCR検査の拡充を望んでいた」と反論している。

しかし、これは「枕詞」であって、あまり意味のない言葉である。人は否定されると再否定したくなる性質がある(我輩も「単に餌が欲しかっただけなんだろう!」と言われると、「いや、そうではない。単に餌が欲しいなんて今までに言ったことはない!我輩が主張してきたのは、カロリー計算理論に基づいた試算をみれば、我輩の夕食の分量を20%程度増加させても経済面、および健康面での損害は軽微なものにとどまる可能性が非常に高いと考えられる、ということだ」などと言い返してしまいがちである...)。

重要なのは、押谷先生の次の言葉である。そこに本音があるはずだ。「PCRはただ増やすのではなく、慎重に拡充しなくてはならない。アメリカCDCの失敗が良い例だ」。

CDCの新型コロナウイルス検査キットの不具合

確かに、アメリカのCDCが開発した新型コロナウイリス検出キットの失敗は大問題となったアメリカ国内でも大々的に取り上げられ、アメリカに新型コロナウイルスの侵入を許してしまった原因となった可能性を指摘されるなどして、CDCは強く非難された。

www.cnbc.com

押谷先生曰く、「PCR検査の拡大を急ぎすぎると、検査の品質低下が発生し、偽陽性偽陰性の問題が多発するはずだ」とのこと。しかし、この論点は、CDCの失敗とは関係ないような気がする。

いろいろ調べてみると、CDCの検査薬というのは、新型コロナウイルスの遺伝子配列の2つの部分を切り取ったプライマー2種類と、旧型コロナウイルス(おそらく初代のSARS)の遺伝子の一部を切り取った一種類のプライマーを混合した検査薬である。CDCの研究者(あるいは長官)は、一石二鳥を狙ったようで、新型と旧型の両方を検出できる新しいタイプの検査薬の開発をやりたかったようである。

この検査薬を検体に混ぜ、PCRにかける。つまり、この検査キットはPCRを利用するキットということになる。

新型コロナウイルスの遺伝子が検体に含まれている場合だけ遺伝子増幅が発生し、(おそらくプライマーに付加された蛍光物質によって)蛍光発光するようなデザインになっている。発光が生じなければ陰性、生じれば陽性である。さらに、旧型のSARSウイルス(といっても、これもコロナウイルスの一種)が検出されれば、(おそらく)異なる色/波長で発光したのであろう。

完成したキットを全国に配布したが、各地の研究所でキットの性能試験を行ったところ、問題が発覚したのだ。科学者というのは、必ず機械や測定器の性能検査実験を行ってから測定に入るものである。CDCのキットの最初の性能試験とは、なんのウイルスも含まれていない真水(純水)をキットに垂らして試験したときに、きちんと陰性結果が出ることを確認することである。ところが、この試験で陽性が発生するケースが相次いで報告されてしまったのである。(日本の厚労省が行った抗体検査でもこういう失敗例があったのを思い出す。)

不具合は、3種類のプライマーのどれかに、新型コロナウイルスの遺伝子(RNA)が混じるという「汚染」が起きてしまったからだと言われている。そして、汚染の可能性が最も高いのが、一石二鳥を狙って導入した「旧型コロナウイルス」検出用のプライマーを含む試薬ではないかと疑われている(詳細はまだ判明していないらしい)。余計なことを考えずに、新型コロナウイルスの検出だけに集中しておけば、このような問題は発生しなかったのではないかという批判があるらしい。

押谷先生のポイント

PCR検査というのは、ごく微量な遺伝子物質を大量に複製し増幅する検査である。したがって、ほんのちょっとでも「汚染」があると、「偽陽性」が発生しやすくなる。例えば、成田の検疫で、新型コロナウイルスが入った容器を割ってしまい、検査室中にウイルスの遺伝子が拡散し検査室の汚染が発生したことがあった。

news.tv-asahi.co.jpほんの僅かでも、検査装置そのものや検査容器にウイルスのRNAが(汚染によって)付着していると、PCRはそれを増幅してしまう可能性がある。となると、ウイルスを含んでいない検体調査にも関わらず、検体容器が汚染されていたがために「陽性」(偽陽性)が出てしまうというわけだ。

つまり、訓練された腕のいい技官のみがPCR検査を実行できる、というのが押谷先生の主張なのであろう。適当な民間技師が適当な精度で検査を始めると、汚染がはびこって正しい結果が出ないのではないか、という「心配」であろう。かなり「上から目線」のような感じがするのだが、どうだろうか?

押谷先生は、7月の段階になっても、「PCR検査は国家資格をもった臨床検査技師だけが行うべきだ」という持論をまだ持っているようで、「素人」による検査が我慢できない感じだ。

しかし、今現在、民間検査会社によるPCR検査はすでに始まっており、その数からすれば、民間検査がもはや日本のPCR検査の主流になっている。これまで偽陽性の問題が指摘されたことはない。「国家資格」に関係なく、腕の良い検査技師が民間にも多いということであろう。(国家試験とか言ってくるところが、またもや「上から目線」に感じられるのだが...)

たしかに、成田空港の検疫で起きたような事故をみると、「だから素人は」と言いたくなる気持ちはわかる。しかし、検査を多くやることによって、無症状感染者をより多く発見できる利点の方を重要視することはできないのだろうか?若干のマイナスポイントは、大きなプラスポイントによって帳消しされるのではないか?ということである。

無症状感染者の「危険性」をどう判断するか

押谷先生の考えでは、「無症状感染者をあぶり出すのは無駄」なのだという。PCR検査を大規模にやってくれという人間は「この感染症の伝播機構を理解していない(バカだ)からではないか」と述べている(ただし括弧内は我輩による付け足し)。この辺の喋り方もちょっと「上から目線」的なものを感じるのだが、彼の言い分も一応見ておこう。

まず、新型コロナウイルスに罹患した患者のほとんどが(80%程度と押谷先生は言っている)誰にも感染させていない、のだという。「残りの10%前後の人は一人にだけうつしている。そして最後に残った数%だけがスーパースプレッダーとなって多くの人に感染させている」という考えである。

この考えの最後の部分はある意味正しいと思う。つまり、スーパースプレッダーの存在こそが、新型コロナウイルスの特徴であるという考え方である。しかし、80%が誰にも感染させず、10%前後は一人だけにしかうつさない、という点が誤りではないか、と思うのだが。

確かに、家族内クラスターを見ていくと、感染が家族に広がる場合と、そうでない場合がある。飛沫感染だから、仲良く会話しながら食事をともにする「楽しい家庭」の方が、会話もなく、夕食も別々にとるような「暗い家庭」よりも、(皮肉なことに)危険性は高いだろう。日本の場合「暗い家庭」が80%だから感染は広まらないというのであろうか?

押谷先生の考えが正しいならば、誰にもうつさない患者をたくさん見つけても何の役にも立たないということになる。だからこそ、すべての資源はスーパースプレッダーの発見に集中すべきである、というわけだ。

しかし、誰がスーパースプレッダーになるかというのはまだ不明でわからない。ただ、クラスター感染が起きた場合なら、そこにスーパースプレッダーがいるはずだから、クラスターを重点的に潰すのが正当である、となるであろう。これが押谷先生の考えである。

よくよく考えると、誰にもうつさない人をどんどん見つけても別に何の害もないのではないか?という意見もあるだろう。無駄かもしれないが、害はないのだ。どうして、押谷先生は「無駄」をこれほど毛嫌いするのだろうか?

無駄なことをすると、感染が広まってしまうならやめるべきである(これに関して押谷先生は、検査所に殺到する群衆が3密を作り出し、感染が蔓延する方が怖い、というご意見である)。ところが、無駄ではあるが、感染の広まりを防ぐ効果が多少なりとも存在するのであるから、押谷先生の論理は破綻している。ましてや、PCR検査に回された、どの感染者がスーパースプレッダーで、どの感染者が80%に属する無害な感染者なのか、区別する方法はいまのところないのだ。無駄ではあるが、無駄を重ねることで、いずれはスーパースプレッダーを発見することができるだろう。そうすれば、無駄は無駄でなくなるはずである。むしろ、コスパを追求しすぎて、スーパースプレッダーを見逃してしまう方がリスクを増大させてしまう。「無駄だからPCRしない」という方法こそ危険であり無駄のような気がするのだが?

ということは、無駄理論とか、偽陽性理論というのは、なにか別の不合理な理由を隠すための「屁理屈」ではないかと勘ぐりたくなる。それは一体なんなのであろうか?科学的な理由でないことは確かだろう。オリンピックだろうか?経済だろうか?