jippiniusの自然科学研究

ジッピニウスの自然科学や技術関連についての備忘録です。

東京が「感染爆発」していない理由

日本社会は不死鳥なのか?

ここ数日の報道は、「国際的な標準から考えると、東京が感染爆発していないのが驚異的だ」という内容が多く、その理由として「日本人の文化」だったり「日本のやり方、習慣」にあるのでは、という、なんとなく曖昧な内容が挙げられていた。科学的な説明がつかないので、こういう論評になるのは仕方ないと思うが、こればかりは、我輩にとっても大きな謎であった。

3月から外国の動向を観察し、感染爆発の基準や引き金のようなものを探そうと努力してきた。その結果、1日の死者が10人を超えたところで医療崩壊が発生し、これが引き金で感染爆発が起きる、という仮説に到達した。日本の1日の死者が20人を超えたとき、もうだめだと思ったのだが、日本の社会は「不死鳥のように」10人未満、そして現在は一桁のところまであっという間に舞い戻ってきたのである。これを「日本社会の勝利」と言いたくなる気持ちはわからないでもない。

科学的に説明がつかない、という論調が多い中、我輩は一定の結論が自分なりに出せたので、その「仮説」をここに発表したい。資料が欠けているので、理論としては不完全なのをお許しいただきたい。

元寇と「神風」の関係

昔の九州大学箱崎キャンパスでセミナーを行ったとき、筥崎宮にはどうしても立ち寄りたいと思ったので、徒歩で訪れたことがある。神社には元寇の際に作られた土塁、石塁の跡が残っていて感動した記憶がある。若輩だったせいか、教科書だけの世界と思っていた「日本の歴史」に直接触れた感じがしたのだ。福岡城太宰府にも中国や朝鮮からの進出、侵入に対する防御の要に関する史跡がいくつかあって、その「国際性」に驚いたものである。

鎌倉時代に、ユーラシア大陸を支配し、ヨーロッパの一部すら版図に組み込むことに成功したモンゴル帝国は、なぜか東アジアの島国の征服には失敗した。鎌倉武士の勇気は尊敬に値するかもしれないが、所詮戦争というものは物量とか戦争技術の差で勝敗が決するものであるから鎌倉に勝ち目があるはずはなかった。しかし、モンゴル軍が「(日本の武士は)あまりにも劣る」と見下したところに隙が生まれた。チンパンジーと祖を共通とする我々人類は「殲滅戦」を徹底するべきなのである。

百戦錬磨のモンゴル軍が編み出した、あの曲がった形状の高性能の弓に首を打ち抜かれた武士の姿を描いた屏風絵は小学生の私の心に突き刺さった。手も足も出ない中、勇敢に立ち向かった鎌倉武士たちには頭が下がったが、まともにやったら勝てる相手でではなかったと感じた。戦法も戦術も兵器も圧倒的に劣る鎌倉武士の敗戦は時間の問題だったはずだ。にもかかわらず、モンゴル帝国が2度までも幕府軍に敗れたのは、簡単に言えば「神風」が吹いたからだと神話のように語られるのだが、結局は「偶然の積み重ね」という意味なのであろう。モンゴル軍の油断、武士の勇敢さ、台風の襲来、騎馬戦を得意とするモンゴル軍が慣れない海戦を挑んだこと、そしてその船内では3000人を超える死者が疫病により発生したこと(ダイヤモンドプリンセスよりひどい...)などが奇跡的に重なったのだ。

さて、太平洋戦争で「神国日本には必ず神風が吹く」と嘘を言って国民を騙し、日本社会を破滅に導いたものたちは、切り株の根元でウサギが頭を打ち付けるのを待ちぼうけする間抜けな男のように「二匹目のドジョウならぬウサギ」を期待したのであるが、そうは問屋が卸さないのがこの世界の真理というものである。

日本政府の失策と「神風」

日本政府が今回とった方策はダイヤモンドプリンセスでは失敗し、PCR検査の拡大では後手を取り、その上、中国からの観光客を大量に許して「インバウンド」なる、はした金に群がることをよしとして大量の無症状感染者を呼び込んでしまった水際対策の破綻など、勝ち目のない戦いに無謀に挑む弱小軍のようであった。新型コロナウイルスの蔓延に苦しむ海外の国々はこれをみて、「日本も破滅が近い」と思っただろう(実際そうだったようだ)。

ところが、「神風」がまたもや吹いてしまったような感じなのである!日本での死者ははね上がらず、感染者は全国で一桁にまで低下した。ロックダウンもせず、結構長い間楽しく街で飲み食いしていたのに、地獄を見ることもなく、もう「非常宣言解除」だといっている。世界が驚くのは無理もない(我輩も目が点になった)。いったい、なにがあったのだろうか?

うがいと手洗い、そしてマスクの文化

日本人はきれい好きで礼儀正しい、というのは、もはや遺伝子レベルなのであろう。中国の古い文献にも、モンゴル軍の報告にも、そういう評価はすでにあったそうである。どうしてなのかは知らないが、そういうタイプの民族なのだろう。普通、生で魚や肉を食べる、といえば、文化レベルの低い、劣等民族という意味なのだが(実際、欧州でそういう風に馬鹿にされたことがある...)、実のところ、生で食べても病気にならない衛生管理の術をマスターしている方が、はるかに高度な文明と技術を持っているといえるのかもしれない。そういう意味で、日本が「特別」と言いたくなるのは無理もない。大抵の文明では、焼くとか、酢漬けにするとか、化学や生化学の技術に頼った衛生コントロールをするものなのだが、日本では「科学」とは違う方法で「科学」を追求しているところに面白さがある。

マスクは欧米では「病気に負けた象徴」であり、つけることを「負け」と考えているし、手洗いやうがいなども「強迫的」など評してまともにとりあってこなかった。これに対し、日本ではまったく逆の対応がなされたきたのは周知のとおりである。

科学的には、ウイルスの大きさは100nm程度であり、安いマスクの織り目の間隔などは「大穴」のようなものだ。N95のような特殊なものでなければウイルスなど防御できるはずもない、と考えるのが「論理的」である。また、手洗いやうがいなどやったとしても、人間には免疫があるし、胃酸の中に溶かし込んでしまえばいいわけだから、無駄な時間と努力は節約できる。また、あまりにも潔癖症なのは人間的じゃない、という文化もあっただろう。「ちょと汚いぐらいがちょうどよくて、そのおかげで免疫機能は学習し強化されるのだ」というロシア人科学者の持論を聞かされたこともある。これは、しかし、科学的に正しいことだと思う。

今回、この認識の違いに「大どんでん返し」が潜んでいたと思われる。

唾液腺にACE2が多くあるということ

以前にも報告したが、新型コロナウイルスが人体に進入する際に「エントリーポイント」として利用するのが、肺胞に多く含まれる「ACE2」という酵素である。医学者の中には、ACE2を抑制する薬を発明してCOVID-19を治療することを考えている人もいるくらいだという。

そして、ここにきてACE2の分布に関して大きな発見があった。舌の細胞に多くあるのだという。

Peng X, Xu X, Li Y, Cheng L, Zhou X, Ren B. Transmission routes of 2019-nCoV and controls in dental practice. Int J Oral Sci 2020;12( 1 ):9.

実はこの論文自体は今年の2月末に発表されていたのだが、その重要性に気づくのが遅れたのである。この論文によると、きっかけは、「味覚障害」だったようである。

さらに、この論文よりも前に、「唾液」のなかに新型コロナウイルスが大量含まれているという報告があった(日本語の紹介記事はこちら)。

academic.oup.com

驚いたことに、唾液腺(Salivary gland)の上皮細胞にもACE2が大量に分布していることは、初代のSARS、すなわちSARS-nCoV-1の研究ですでに報告されていたのである!

www.ncbi.nlm.nih.gov

 そして調べてみると、出てくる出てくる!こんな論文まで見つかってしまった。

https://www.arbinsafety.nl/images/Blog/Covid-19_speekselklieren.pdf

 

 これは、「無症状感染者の唾液腺がCOVID-19の隠れ家の可能性」という内容の論文である。PCR検査で喉や鼻から引っ掻いて検体を採取するのではなく、唾液を直接取ればよい、という上で紹介した論文と整合性が出てくるではないか。

 

そして、結局、現在必死になって掻き取っている喉や鼻腔粘膜には、あまりACE2が分布していないらしい、のである...

もともとコロナウイルスがいない場所で、唾液腺などから流れ出して、喉などにわずかに引っかかったウイルスの残党みたいなのを一生懸命採取しようとしているから、時には採取成功、時には採取失敗、となって陰性、陽性が複数回繰り返されるような事態になっているのではないだろうか。もちろん、体の中でウイルス増殖が最高潮になっていれば、唾液腺から流れ出るウイルスも多いはずだから、喉や鼻で検体を取ってもしっかり陽性が確認できる。しかし、治りかけてきた人は唾液腺からの流れ出しが減少するだろうから、これが偽陽性の正体になっている可能性があるのだ。この考えを最初に報道をしたのが、テレビ朝日のジャーナリスト玉川氏のようである。

以上のことが確かならば、治りかけの人、あるいは無症状感染者すら、ウイルスがたんまり巣食っているという唾液腺、すなわち唾液を直接PCR検査した方がRNAの濃度が高いだろうから精度の高い検査結果が得られるはずなのである。

唾液腺のACE2が神風になる理由

ACE2を人体侵入へのエントリーポイントに使う新型コロナウイルスは、ACE2がたくさん分布する器官にたむろす。それが唾液腺なのだから、唾液を媒介してこの病気が蔓延する確率はかなり高まったと思う。

欧米の文化は唾液を飛ばして交流する文化である。人間同士の距離が近い。コミュニケーションを大事にする。家族間こそ接触が多い。また言語の発音システムに子音が多く、つばが飛びやすい。我輩もPの発音が弱い、とその昔英国人の友人から指摘され、Waterloo駅で列車乗り場を駅員に訪ねる時、思い切ってpとfの発音を強くしてみたことがある。

Where is the platform number four?

pとfのところで、思い切り息を吹き出すのであるが、駅員の髪の毛が我輩の息に吹き飛ばされたのをみて、これが英語の発音なのか、と自分のことながら感心したものである。間違いなく、唾液は飛び散ったはずである。

そして、彼らはマスクをしないのである。手も洗わないし、アルコール消毒などやりもせず、やたらと指を口に当てたり、額に手を当てたりして、「豊かな表情/ジェスチャー」をしてコミュニケーション能力を高めているのである。

日本語では、あそこまで息を出す発音は存在しないし、子音の発音も少ない。そして、マスクを好んで装着し、手をマメにあらって、指や手を顔に当てるような大げさな仕草もしない。挨拶は遠隔のお辞儀が基本であり、家族間でも「抱き合って挨拶」なんて恥ずかしくて気が遠くなりそうである。

日本社会のこういった文化とACE2が唾液腺に多く分布するという科学的事実が、「神風」的な偶然となって、日本の社会をここまでは救ってくれたのだ(と思う)。

しかし、神風はそうは何度も吹かないことを知っている。二匹目のドジョウは柳の下にはいないし、切り株にぶつかる間抜けなウサギは二羽もいないのである。偶然に救われた私たち日本人は、このチャンスをものにして、第二波を、今度は科学的に撃退するべきである。チンパンジーと同じ「殲滅戦」をやり抜くのである。